私がライターとしてお金をいただけたのは2002年のこと。
編集プロダクションが経営するスクールに通い、昼間は授業、夜間はその編プロでバイトをしていました。
名古屋にあるほとんどの情報誌には関わったように思います。
先日とあるライターさんに「紙媒体をやっていたことがスゴイ、強いキャリア」
と言われました。
当時はそれしかなかったので、当たり前だと思っていたのですが、
今、なんちゃってライターが山ほどいる中で、経営の内情はともかく、
プロとして続けていられるのは、当時の編集長や編プロの先輩、
取材先の方々に育ててもらったからだと思っています。
今日掲載するものは2003年、角川書店(現KADOKAWA)で、
「大人が読める雑誌を」ということで創刊された「大人のウォーカー」。
デビュー2年目で、私は東海ウォーカーやるるぶから、大人の媒体に移ります。
こちら20年前のものなので、すでに営業をされていない(もしくは本体を譲った)という場合もありますが、
ひとむかし前のことということで、ご了承いただければと思います。
自分の記録としても名店や素晴らしい経営者さんの記録を綴ります。
インタビューの原点を作ってくださった、
「錦ずし」の大将とのあの日
こちらは私は何度も何度も書いてきている取材先。
私のライターとしての自信を付けさせてくださった、大切な方です。
とても感謝しています。
編集部から依頼があった時「大将は気難しいから気をつけて」
と言われ、とても緊張したのを憶えています。
ライターとしてまだまだ2年目。納得のいくものが書けるか、
本当に不安で仕方ありませんでした。
というのも、過去の掲載誌に「頑固一徹の寿司職人」とあったから。
でも…会ってみたら、この記事に書いたとおり全然違ったんです。
とにかくお寿司が好きだから、一番美味しく感じる順番で食べて欲しい。
大将の伝えたいことは、それだけだったんですよね。
今改めて感じますが「プロこそシンプル」なんだなあと。
そりゃ「頑固一徹」なんて書かれたら、腹が立つ。
この日、朴訥な大将の空気感になるべく合わせて取材をしましたが、
取材後、奥さまが駐車場まで走ってきてくださり、
「大将はただただ、お寿司が好きなだけなの」と言われました。
その後、個人的に予約をしたく様子を伺いながらお電話したのですが、
奥さまが「大将、すごく喜んでました。ありがとう。
お客さんも『やっと大将の伝えたいこと書いてもらってよかった』っておっしゃってました」
その時に本当に嬉しかったこと、気持ちを伝えるということ、
他の誰がなんと言おうと、先入観を持たず「自分の感じたものが全て」
ということを教わりました。
大将のお寿司、また食べたいな。
最高級の牛肉ってこれだよね。
泣きそうに美味しかった飛騨牛
こちらは高山市内にある老舗の飛騨牛専門店「ブルボン」さん。
もうねえ、仕事じゃないと行けないですよ。
もちろん名古屋市内にも鎌田さんだったり、松阪にも山ほど老舗はありますが、
こちらは「30代前半で初めてお腹いっぱい飛騨牛を食べた」
と言う点で、私の中では軍配が上がる!
こちら、名古屋のお店が並ぶ特集だったということで、
掲載が1/2スペースになったことが、本当に申し訳ない限りで。
いろいろなグルメ取材に行かせてもらいましたが、
本当に美味しい時って「おいしい」しか言葉が出ないんですよね。
前述の錦ずしさんも然り、「おいしいです、大将、はい、美味しいんですよ」
って子どものようなことしか言えない。
だからテレビでいろんな言葉で説明している場面を見ると、
「あーこの店、本当はあんまり美味しくないんだな」って思います(笑)
今書いていても、あのお肉の柔らかさとジューシーさが再現されます。
食の思い出っていいですねえ。
ド派手名物社長も実は地味
リスタートが望まれる「よし川」
名古屋の方なら誰もが知る、よし川。
池下駅の裏にその名も「よし川ビレッジ」なるものがあり、
本店、イタリアン、洋食、といろいろなお店がありました。
どれも築年数が経った建物と、本格的な料理が人気でした。
私が取材したのは、新しくオープンした「繭の家」。
その名前のとおり、かつて蚕を育てていた農家を使った空間で、
街のど真ん中にあるのに、静まりかえっていたことを憶えています。
そして、よし川を語る上で外せないのが、社長の吉川幸枝さん。
両手のすべての指にキラキラの指輪をつけ、お客様一人ひとりをまわる姿で、
「ド派手社長」「名物社長」という異名も。
このページには載ってはいませんが、お話は社長から伺ったのですが、
その時の社長は、本当に市民の私が言うのは何ですがとても地味で。
色こそピンクのセーターをお召しでしたが、「長年着ている」という状態。
「家では私こんな感じなのよ。キラキラは皆さんが期待されてるから」
と明るくお話しになり、創業した時のお話を聞かせてくださいました。
とにかく軌道に乗らせなくてはと、一心不乱に働いたこと、
子どもが小さかったので、時間がある時に山ほど米を炊き、
おにぎりにして全部冷凍していたと。
私が今もあまったご飯をおにぎりにして冷凍するのは、
たぶん吉川社長のお言葉が印象に残っているからだと思う(^^)
最近飲食店そのものに取材に行かないので、情報が追えていなかったのですが、
どうやら2020年から、よし川ビレッジごと再開発をされているそう。
どんなふうに生まれ変わるのか、楽しみです。
初めての人物取材がまさかの大物
zettonの元社長、稲本氏
zettonさんはかなり掲載もされていたので、DMもたくさんいただきましたが、
上記のように、あまり情報を追えていませんでした。
徳川園はやっていることは知っていますが、稲本社長の現在は知らず、
改めて調べたところ、社長は他の会社を立ち上げられたらしく、
今の組織表には、当時広報や統括を務めていた方々の名前がずらり。
皆さん出世されたんですねえ。
今回紹介した媒体はすべて同じ号、つまり2003年なので、
まだひよっこの私が「大人の雑誌」として「大人代表」というテーマで、
zettonの社長さんにインタビューするなんて、ものすごく緊張しました。
とはいえ年齢は2つしか違わず、同世代。
生意気ながら「ううむ、社長は遊び人だったのだなあ」
という雰囲気がしっかり伝わってきましたが、
やっぱり名古屋を代表する経営者さんですから、とても腰が低く、
私のつたない質問にも、ひとつひとつ真摯に答えてくださいました。
今読むと、本当に文章が子どもっぽくて、いやになります(苦笑)
稲本社長も若かったので許してくださったと思うのですが。
でも書いてあることは、20年前とは思えない、今のリアルにも繋がって、
「憧れる大人があまりいない」というのは、今の30代が感じているのかも。
私は憧れる先輩はたくさんいますが、
今、自分の子ども世代だったり、仕事歴が短い年下の人から見て、
自分が「なりたい大人」の像になっているのか、それより
「あんな奴にはなりたくない」と思われてはいないだろうか、
なんだか今日、これを書きながらしんみり考えてしまいました。
あの頃の未来に~ぼくらは立っているのかな、って感じかな。
それにしても、当時はキツいと思っていた雑誌の取材も、
体力のあったあの時しか体験できなかった、貴重な日々だったと思います。
当時いた人は辞めたか、めちゃくちゃ出世して手が届かないかどっちかですが、
これからも私は自分の原点を大事にしながら、
「その人」を描いていきたいなと思います。
トップページイラスト/スギウラココア
敬称略