今日はゆるりと箱根駅伝の感想。
私の大好きな駒大、大八木監督が今年で現役を引退、
来期からは総合監督として、全体を見守るそうです。
「行け行け! 男だろ!」という監督の声かけは箱根名物。
もはや今「そういう煽り方って昭和じゃない?」という声もあるし、
「ハッピー大作戦」などの原監督の教え方の方が、
選手のモチベーションも保てるのでは? という声もあります。
私はどちらもいいと思っていますが、
「陸上人生」ということを考えると、
大八木監督の下で育ち、実業団に入った選手は伸びているし、
原監督の下で育った選手は「箱根がゴール」になっているように思います。
確か原監督はスカウトの際「一緒に青学で箱根を目指そう」
と声をかけるときいたことがあります。
部活一辺倒でやってきた田舎の高校生に
「箱根を目指す」「青学」という2つのパワーワードは効果絶大。
私が陸上選手でも、ついふらーっと行ってしまうでしょう。
でも自身がその後実業団に入り、オリンピックも目指し、
さらには日本の陸上界を変えたいという思いがあれば、
他の大学にすすむかな、と思います。
というわけで、どれが正解というわけではないですが、
大八木監督推しの私が、今年度駒澤が三冠を取ったことは大変喜ばしいこと。
ご存知ない方に一応説明しておきますが、
駅伝は箱根だけではなく、その他に2つの大会がありまして、
・出雲駅伝(10月/見てのとおり出雲のあたりをぐーるぐる)
・全日本駅伝(11月/熱田神宮~伊勢神宮)
の3つと合わせて、三大駅伝と呼びます。
まあ、箱根が一番有名ですが、所詮「関東の大会」ですからね。
これをお正月の巨大コンテンツにした日テレの力はすごいと思います。
現にはまっている私がいますし。
といっても、私がほぼ目を離さずに箱根を見始めたのは、2011年。
それまでも、湘南の美しい景色だけを見たくて、毎年11時頃には見ていたのですが、
2011年のお正月、妊娠8ヶ月の私は年末から切迫早産気味となり、
自宅で安静にと言われました。
夫の実家にも行かず、ひたすらゴロゴロゴロゴロ。
それが箱根との出会いでした。
前置きがかなり長くなりましたが、
そんな私が選ぶ「名シーン」を3つ上げていきます。
第1位/私の箱根人生の原点はこの方。
上武大学・地下選手のラストラン
2011年、上述のように箱根駅伝を見始めた私は、
「外国人のランナーがいるところが強い」とか
「早稲田とか中央が強い」というごくごくうすーい知識。
「花の二区」という言葉の存在も、
6区の山下りが、5区の山登りよりも技術を要することも知りませんでした。
そんなこんなで「往復11時間…うう…やはり長いな」と思い、
やっとこさ10区となり、ゴール近くになったその時、
見出しの地下選手が走る場面が映りました。
その大学は上武大学。名古屋にいる私は正直どこにあるのかさえ知りません。
でも知名度から言っても、トップがとっくにゴールした時間に、
まだ日本橋のあたりを走っているということは、有名校ではないのでしょう。
失礼ながら「いいよな~ドベ(名古屋弁でビリのこと)になると、
みんな応援してくれるし長くテレビに映れるし、
15位とかの人より却っていい思いするんじゃないの」
くらいに思っていました。
そんな時、アナウンサーが語ります。
「この選手は4年生。今日がラストランです。
そして4月からは地元に帰り、村役場に就職します。
つまり競技人生は今日が最後です!」
え、箱根走った人って、みんな実業団に入るんじゃないの?
無知な私は即座に思いました。
よくよく考えれば、20校×10人が全員実業団に入れるわけがない!
でもアンカーとなり、全国何百万人が見ている箱根を走る選手が、
陸上を辞めて、村役場に就職?
そう思った時自然にうるうると来てしまいました。
ここが私の「勝手に共感する悪い癖」。
田舎から出てきて、キラキラした東京に出てきて
箱根を夢みた若者が、朝から晩まで練習に励み、
実際にアンカーを走るも、地元でしがない役場に就職…
あの日を思い出し、黒い腕カバーを付けて、
役場の仕事をするのだろうか…と。
(本当無知だったので、球磨郡の役場の方すみません。
熊本は大好きです。球磨にもいつか行きたいです)
無知な私にとっては、箱根を走る選手は全員スター。
その後の輝かしい人生が約束されている。
なんて思っていたんですよね。
でもそんなこと全然なくて、
こんなキラキラした東京を走っている人にも、
それぞれに人生があり、光も影もある、ということを知り、
今私は切迫流産気味で動くこともできず、
でも選手たちは、自分の好きなことをして輝いていて、
なんだかなあと思っていた気持ちが、瞬時にふっとんだんです。
それからは「箱根駅伝」というものを見るのではなく、
選手の一人ひとりを見るようになったり、
どこの高校を出ているのかを調べる様になったり、
事前に「箱根駅伝特集」という雑誌を買って研究するなど、
どんどん箱根にはまっていきました。
そんな地下選手ですが、前述のように球磨郡の村役場で働き、
今は市民ランナーとして大活躍されているらしく、
地元を多いに盛り上げてくれているとのこと。
熊本は、箱根駅伝の元となった「金栗四三」の出身地でもありますし、
地元にとってはヒーローなのかもしれません。
第2位/視聴者も観覧者も息を飲んだ!
新しい交差点名を作った國學院・寺田選手
これはもう、箱根駅伝ファンなら誰もがご存知の出来事。
箱根の10区は、
ゴールテープの数百メートル前で、テレビ中継車が右折。
選手はそのまま直進してゴールテープを切ります。
が!
直進せずに、中継車についていってしまったのが、
國學院の寺田選手。
しかも、國學院はその時10位。
後ろからは法政の選手が追ってきており、
ここで10位を取られてしまうと、来年のシード権を失い、
國學院は予選からやり直し。
まさに「天国と地獄」の差があるのです。
もう、このときはお茶の間もあちこち凍り付いたでしょう。
結局寺田選手は途中で気がつきダッシュ!
無事10位を死守することができましたが、
「あせった~~」と苦笑いしながらゴールし、
チームメイトも苦笑い。
もしシードを取れなかったら…と考えると私もぞーっとします。
ブラジルとかのサッカーだったら撃たれるレベルですもんね。
そして現在、この交差点はこんな風に呼ばれているそう(笑)
ゴール直前のダッシュを「寺田ッシュ」と呼ぶようになったり、
「寺田屋事件」ならぬ「寺田事件」と称するようになったり、
寺田選手の活躍は、その後も楽しい波紋を呼びました。
卒業後はJR東日本へ。
ニューイヤー駅伝の実況では「コースを間違えないで」
とつぶやきが並びました。
この「寺田事件」も、先程の地下選手と同じく、2011年の出来事。
たまたま大きな出来事が重なった年でしたね。
また、数年前にも法政の選手が同じようにコースを間違えたからか、
今年はそれを防ぐよう、おびただしい数のパイロンが並んでいました(笑)
5位でも優勝のように歓喜に沸いた!
あの時のフレッシュな青学は今いずこ。
箱根を見ていると、期せずしてうるっとくる瞬間があるのですが、
青学が初めて入賞した時も同じでした。
青学はそれまであまり注目しておらず、
今改めてwikiで調べたところ、何度か10位以内には入ってるのを初めてしりました。
私が初めてうるっと来たのは2013年の箱根駅伝、10区。
通常、よくあるシーンとしては、
ゴールテープを切った後、係の人にタオルを掛けてもらい、
その後、その先に待つチームメイトの元へ行く、「
というパターンが多いのですが、
このときの青学は、ゴールテープを切った後、
タオルをかけようとする係の人に目もくれず、
一直線にチームメイトの元へ走り抜け、
待っていた選手たちは、まるで優勝したかのようにアンカーを囲み、
今にも胴上げをしそうな程、喜びで顔をぐちゃぐちゃにしていました。
その、とてもシンプルなシーンに、おばちゃん感動…(涙)
確かその時、優勝を狙っていた東洋大学が2位に沈み、
2位なのにまるでお葬式のような表情をしていたため、
青学選手の輝くような笑顔が、余計に心にきたのかもしれません。
そして時は流れ10年。
あれから青学は破竹の勢いで優勝・三冠・新記録を達成。
そして「陸上界をもっと盛り上げたい」という思いから、
駅伝を知らない人にまで「原監督」の存在は知られることになりました。
でもまあ、出る杭はなんとやら。
とにかく厳しい部活動の世界を「モチベーションを上げる」
という面に着目して指導した新しいやり方は素晴らしかったし、
時代的にも合っているとは思うのですが、
前述のように、大学卒業後のことを考えると、箱根だけに焦点を当てているのかなと。
まあ、これも来年の見所となることでしょう。
そんなわけで、気づけば長々と書いてしまいました。
箱根駅伝はただの関東の大会ではありますが、
「地元の両親や親戚一同」が、まとまった時間、
自分の子どもや孫をテレビで見ることができたり、
それに憧れて練習を重ねる少年達を育てたり、
何より、景色が美しいことが、他の駅伝と違うところ。
この10年は雪も雨もほぼ降らず、毎年富士山が拝め、
街から海、海から山へと移り変わるのは、
見ているだけでもワクワクするものです。
「もう古い」と思われるけれど、連帯責任的なところや、
その背後にいる家族や友達や恋人の愛情だったり、
日本人が好きそうな要素が詰まっているのが、箱根駅伝。
来年も楽しく見ようと思います。