今日は読書感想文。
皆さんは「限界ニュータウン」という言葉をご存知でしょうか。
この言葉は造語ですし、1人ひとり認識が違うので統一はされないのですが、
住宅分譲地として造成、販売されたはずなのに、なぜか住居は建たず、
分譲地のほぼ大半が空き地になり「売地」と看板が立っている、
めちゃめちゃ田舎の「ここどうやって通勤通学するの」っていうところ(適当でスミマセン)。
今日は、そんなことを語った、吉川祐介さん著「限界ニュータウン」という本の感想文を書きます。
地方都市だけどバブルを体感。
5分で内定がもらえた狂った時代
まずは私が吉川さんを知った経緯から話します。
最初に吉川さんを知ったのはyoutube。
私は怖がりのくせに「廃墟」だの「禁忌地」などが好きで、
次から次へ見ながら「そうそう、山に行くとこういう家ってあるよね」
「壊れたラブホ! あるある~!」と思いながら見ていました。
その後「今は輝きを無くした清里ペンション群」なんかを見ているうちに、
「これもオススメ」に出てきたのが著者の吉川さんのyoutube。
そこには、越後湯沢のリゾートマンションの荒廃ぶりが描かれていました。
私の大学時代はバブル期。
地方都市なので、そこまでの恩恵は感じませんでしたが、
それなりに景気の良さは身をもって経験していました。
例えば就活では、面接とホテルでの食事会(飲み会)がセットなのは当たり前。
面接して5分で内定がもらえるのも当たり前。
もちろん交通費もいただけるので、当時付き合っていた彼氏は、
関東出身ながら名古屋の大学に進学し下宿しており、
就活では、「名古屋から来ました」と行く気もない東京の小さな会社の面接を、
月~金までフルに入れ、交通費と宿泊費をせしめた挙げ句、
自分は実家に泊まり、10万円を稼いで名古屋に戻ってくる、なんてことをしていました。
これは彼氏が悪知恵が働いている人だったという訳ではなく、
周りは文字通り「みんな」やっていました。
そんな彼氏の友達の親戚が持っていたのが、越後湯沢のリゾートマンション。
私も何度か泊まらせてもらったので、非常に懐かしく見ていました。
前置きが長くなりましたが、そんな経緯で吉川さんを知り、
「佐藤君の親戚はもうあのマンションを手放したのだろうか…」と思いつつ、
吉川さんのチャンネルを改めて見て、「限界ニュータウン」という存在を知ったというわけです。
「限界ニュータウン」とはなんぞや?
著者の吉川さんは静岡の出身で、その後東京で奥さまと一緒に住んでいたそうだが、
家賃も高いし、仕事も都心の企業に勤めているわけではないので、
経済的な面を考えて、地価の安いところに思い切って引っ越そう、ということで、
千葉県の北東部に土地を探しにいったそう。
そこで見たのは、名分譲地のように区画され、時には擁壁が作られているのに、
一切人の住んだ気配がない空き地の数々。
そこから「同じような価値観の人と情報を共有しよう」とブログを立ち上げたとの話。
ところがあまり反応がないため、Twitterを始めたところ、
あっという間に話題となり、フォロワーやコメントが増え、
出版社から声がかかったそう。
ちょうど、私がyoutubeを見始めた頃に、いわゆる「バズった」状態となり、
本の出版も重なって、先日重版となったそう。
ちなみに私が買ったの重版のものでした。
この「限界ニュータウン」として吉川さんが紹介されているのは、
主に千葉県の北東部。
「名古屋に例えるとどこだろう」と考えたのですが浮かびません。
もちろん高蔵寺ニュータウンが「限界」という意味では同じような状況ですが、
高蔵寺の場合は、ちゃんと人が住んで、インフラも整い、
一定時期は多くの人でにぎわっていましたが、
吉川さんの描く「限界ニュータウン」には、住居が建っていません。
というより、建った形跡すらありません。
ではなぜこんな土地があるのか。
区画整理もされていて、場所によっては公園だの生活用水の確保などがされている。
でも、人気(ひとけ)が全くない。
理由はただひとつ、土地を所有するまたは転売をするということ。
まるで株のように土地を扱い、
寝かせて売れば儲かると思われた2つの時代
冷静に考えると「住む予定もないのに、なぜ買った?」
という話なのですが、本当に日本全体が浮かれていたのでしょう。
最初の土地バブルは1970年代~80年代。
高度経済成長期で日本人はしゃかりきに働いた、いわゆるいい時代。
「これで俺も一家の主」とばかりに家を買おうと思った国民は多かったはず。
ところが、高度経済成長の影には地価の高騰や公害などの問題を生み、
やがて郊外にしか家や土地を買えなくなってしまった。
加えて、土地を株のような感覚で買い「即完売しちゃうから急がなきゃ」
と、どんな田舎でも人が殺到。
住宅地にしなくとも、土地さえ持っておけばいずれ地価が上がり、
お金持ちになると思われていたようです。
吉川さんのyoutubeでは
「こんな僻地に、土地を買うためだけに不動産屋から観光バスが出ていた」
というようなくだりがあります。
これは…やはり地方都市の名古屋では想像がつきません。
私が「千葉も茨城も埼玉も、みーーんな結局東京」くらいに感じていたのを、
皆さんも感じていたのでしょうか?
当時のチラシに「新宿まで70分」などの記載があったりするのも、
本当に住もうと思って土地を買う、あるいは土地転がしで儲けるという青写真みたいなモノを、
見た人に描かせるためだったかもしれません。
その後、土地バブルはいったん落ち着きますが、80年代後半からは、
バブル景気がやってきます。
この時はリゾートマンションがよく売れた時代です。
東京であれば、軽井沢やそれこそ湯沢のスキーリゾート。。
こんな田舎の名古屋ですら、私も「蓼科に別荘買おうよ~」と父に言い、
「1年に1回も行かないだろう、無駄無駄。それにこんな時代はすぐ終わる」
と一蹴された憶えがあります。
それは決してわが家がお金持ちだったとかではなく、
ユニクロやスーパーのチラシのように、別荘地のチラシを見たからです。
そんなこんなで土地は買ったものの、結局売れなかった土地が、
今「限界ニュータウン」と呼ばれているそうです。
著作権の問題もあり、写真などは掲載できないゆえ、
「そうそうこういうの!」っていうのが文章では伝えきれませんが、
なぜこういう土地が今残ってしまっているのかというと、
当時、地域密着のデベロッパーが「土地なら何でもうれる」
と、山林を買い占め、めちゃくちゃに造成し、なんとか体裁を整え、
「とにかく売っちゃえ~~」と売った結果がこれなのでしょう。
しかも、もう大半のデベロッパーは破産しているそうです。
千葉では「磯村建設」という企業さんがその道では有名らしい(どの道?)
youtubeや著書を見ていると、本当に「いやいやここまでどうやっていくのよ」とか
「車がないと生活できないね…っていうか駐車場低いし狭いし車入らんじゃん!」とか
「これ今から住む人、まずプロパンガスの契約から始めるわけ?」とか、
「街灯ない、コンビニない、人もいない!」と吉幾三ばりに叫ぶしかありません。
単に「森」とか「山林」とかなら「ああ都会を離れてマイナスイオン」
とリフレッシュもできようものですが、
この土地はとにかくだだっ広くて、ただただ寂しい。
恐らく、人の手が入っているだけに「かつて、ここに住むことを夢見た人がいた」
的ななんとも言えない切なさを感じ、
というような人の手が入っているだけに、余計に寂しい。
今後、この土地は売れるか。
もちろん売れないでしょう。
もう土地が株と同じ価値になることはないでしょうし、少子化も進む一方。
止まったまま動かないものを見るのは、人間は嫌いなのでしょうかね。
土地はただ、そこに存在するだけですが、行き場のない悲しさが漂うような…
何とも言えない、薄ら寒いような気持ちになるのです。
まあ、私が感傷的すぎるのかもしれませんが、
「見てはいけないものを見てしまった」というような気持ちになったり、
この本を夜は読めなかったりします。
ただ!
吉川さん、めちゃくちゃイケボなんですよ。
なので、youtube聞きながらよく寝落ちしています。
まだまだ読了前に、youtubeを見ただけでファンになり、
重版のタイミングで感想文を上げたい一心で、書き殴りました。
反応が多かったら、また書き足します。